2020-02-21 第201回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号
ちょっと昔の話をまたして恐縮なんですが、角福戦争があったときに、総裁選の後に田中角栄さんは自分の自動車電話から電話を取り上げて福田赳夫さんに、総裁選の直後ですけれども、電話をして、大蔵大臣を引き受けてくれと。大蔵大臣をその後即座に福田赳夫さんが引き受けるということがありました。ちょっと過去の政治家の方の話をして恐縮ですけれども、この話は、昨年亡くなられた相沢英之先生の著書の中にあります。
ちょっと昔の話をまたして恐縮なんですが、角福戦争があったときに、総裁選の後に田中角栄さんは自分の自動車電話から電話を取り上げて福田赳夫さんに、総裁選の直後ですけれども、電話をして、大蔵大臣を引き受けてくれと。大蔵大臣をその後即座に福田赳夫さんが引き受けるということがありました。ちょっと過去の政治家の方の話をして恐縮ですけれども、この話は、昨年亡くなられた相沢英之先生の著書の中にあります。
まずは角福戦争のあおりを食らって、初当選からわずか半年で、まさかの解散・総選挙。我が国が国際的責任を果たす第一歩となったPKO法審議の際は、柄にもなく強行採決の現場監督を務めました。政治改革のあらしにも巻き込まれ、仲間とともに一時自民党を離れ、非自民連立政権の誕生に奔走しました。しかし、そのとき私は、政治は結果だけではなく、プロセスも大事なのだということを学び、自民党に戻ってまいりました。
総理の父上のころに角福戦争なんというのがあって、片や大変な資金力を持って、そして歴代の総理を選ぶような力がある。私どもが初当選したころは、今の小沢さんが幹事長でしたね。そして、金丸さんとかみんなで大変な政治を動かす原動力となっていろいろなことを活動しておられて、口もきけないほどの大先輩。今は民主党の代表としていよいよ政権をとろうかというところまで、王手をかけたぞと思っておられる。
一方、私は、昭和四十七年、角福戦争直後に永田町にてでっち奉公を始め、秘書から県会議員と、政治一筋三十年の修行を経て、ようやく今、この場に立ち、発言をしております。時まさに戦後還暦。時代の節目、変革の時代を迎えて、政治が国民の運命を決めると思えば、政治家としての使命など、感無量なものがあります。
特に昨今におきましては、かつての角福戦争を思い出すような問題も含めまして、大変な御苦労でございます。最初に、本当に御苦労さまということを申し上げたいと思います。 質問の最初は、賞勲制度についてでございます。 叙勲制度は、御承知のとおり、明治八年以来、百二十数年にわたって施行されてまいりました。特に戦後の昭和三十九年におきましては、生存者叙勲制度も復活いたしました。
これは、森さんが福田赳夫さんの、御本人自称ボディーガードをされていたときに、角福戦争というものがあったときのことをみずから書いておられます。 ちょっと長いですが、読みます。 福田さんは、この期に及んでまだきれいごとを言っている。 私は思い切って進言した。 「田中さんから中曽根さんに相当な金がいっているとうわさされています。こっちもそれに対抗したらどうですか。
激しく角福戦争というのが起こったことは、自民党の中の総裁選挙として行われたことは事実でございまして、私としては、尊敬している福田先生に何とか総裁になってもらいたいと思う、しかし、私は一年生で何もする役割がなかったわけですから、体も大きかったせいか、福田先生がどこかへ行くたびに、おまえついてこいと言うので、ずっと一緒について歩いていた。
昭和五十五年の衆参ダブル選挙の後、和の政治ということを掲げて政権を樹立しようとした鈴木善幸さんに対して、自民党の場合どの派が協力するとかしないとかという話があるわけでございますが、それまで鈴木善幸先生が属していた当時の大平派と福田派というのは非常に対立関係にあった派閥であったわけでございますが、福田赳夫氏が、大平派である鈴木善幸氏を総理大臣にすることに異存がない、こう言ったときに、しかしそれまで角福戦争
利権が絡み、そしてこの利権を軸にいたしまして、角福戦争と言われておったそうでありますけれども、いわゆる集票活動での賭博事件が起きた、しかもこれが全島に及んでおる、こういう意味で私どもは極めて重大な事件だと考えております。 それで、この根を断つかどうかというのが恐らく今度の捜査でも問われておると思うわけでありますが、そこで大臣にお尋ねをしたいわけであります。
そのときに、昭和四十七年の第一次角福戦争、つまり、自民党の後継総裁をめぐる田中角榮氏と福田赳夫氏の決戦の際のあなたが田中支持の行動をとった理由について、あなたは次のようなことを言われております。松村先生に対する御恩返しの一つとして日中国交回復をやろうという一念に燃えてやったことである、このように言われておりました。
それはなぜかというと、どうも私が何か一言言っても、閣内不統一だ、あるいは角福戦争だと、こういうふうにいわれてきたわけです。
それにもかかわらず、世間におきましては、田中首相と私の間にあるいきさつ、つまり昨年の自由民主党総裁選挙、あのことを頭に置いてでございましょう、ちょっと田中首相と私の間に意見の違いがあるというようなことがありますると、さあ角福戦争再開かだとか、あるいは閣内不統一かと、こういうようなことをおっしゃられるんです。私は田中首相に率直に申し上げた。
世上角福戦争再燃などといろいろ伝えられたのであります。私どもも宅地事業団という構想は、どうも屋上屋を重ねるものじゃないか、住宅公団などで十分やれることなんじゃないか、こういう認識を持っておりました。そこで、福田さんがあの宅地事業団構想というものをつぶされた基本的な考え方をお聞きしたいのであります。われわれと一致しておるのかどうか。
しかしながら、国民の告発しているのは、金力と権力を背景として政治を乱用し、またしても角福戦争などと権力のたらい回しを行なおうとしていることであり、佐藤総理みずからがそのどろ沼に足を突っ込んでもがいていることに対する告発でもあるわけであります。(拍手) 政治家の名声はその去りぎわにあることは、歴史の教訓がこれを示しております。古来より、政治家の最も心すべきは、国民の信を失わないことであります。
○大原委員 いままでのやりとりを通じまして、やはり佐藤総理なりあるいは田中通産大臣が言ったか福田外務大臣が言ったかどうかわからぬですが、あとのほうは角福戦争だからどっちも言うかもわからぬ、片方しかわからぬが、閣議でわけくそのわからぬようなことを言って、そしてこういう問題の真剣な討議あるいは問題の所在について非常に焦点を誤らしめるようなことを言ったことはきわめて遺憾である。そういうことは軽率である。
先般から角福戦争というのがありましたが、統計を見ますと、福田さんあるいは田中さんの派閥も非常に金額がふえておるわけでございますが、これは一部には総裁選も近いんじゃないかといわれているわけですけれどね。そのように政治にたくさんの金が使われ、いわゆる政府与党と財界の癒着が選挙を重ねるたびに強まっているということは、私は非常によくないと思うのでございますが、総理としてはこの問題をどう考えておられますか。
○国務大臣(佐藤榮作君) 角福戦争をやめるために早くやめろと、こういう御議論のようですが、私のつかみ方とはちょっと違っておるようでず。
○竹田四郎君 いま新聞紙上伝えておられます、角福戦争ということばがたいへん伝えられているわけであります。町のどこを見ても、これについては五十億の金が飛んでいるとか、あるいはある会合に出ていった、一万円の会合に出ていったらば九十九万円が返ってきたとか、まあこういううわさ話がたくさん出ております。